ビートたけしとは!!
お笑い界ビッグ3の一人として、また映画監督や司会者
としてマルチな才能を発揮し、長きに渡り活躍されているビートたけしさん。
慕ってくる人間が多すぎて「たけし軍団」を結成し、
弟子たちから「殿」と呼ばれる男。
破天荒な行動・言動を見せたかと思えば
知識・知見の凄さを随所に見せるそのトーク力。
この記事では幼少期よりその虜になっていた筆者が
今更人に聞けない、
たけしさんの魅力・エピソード・経歴などを
お届けします。
まずはプロローグとして、若いころの営業先でのエピソードを。↓
簡単な経歴
本名)北野 武 1947年(昭和22年)1月18日生まれ(御年77歳!)
血液型O型
ペンキ職人の父、菊次郎と、母、さきの間に4男として生まれる。
幼少期に兄が早逝し実質3男として育った。
著名な親族に兄、北野 大(きたの まさる)さんがいます。
東京足立区出身。東京都立足立高等学校卒業後明治大学工学部(現理工学部)を
除籍になりその後芸能の道へ進むこととなります。
学歴からしてもともと頭が良いことに疑いの余地はない。
1980年に元芸人の北野幹子と結婚。
2019年に離婚し、2020年現在の奥様と結婚。
所属事務所)
太田プロダクション→オフィス北野(1988年より)→T.Nゴン(2018年~現在)
お笑い芸人として
大学時代に学生運動に参加したり、ジャズ喫茶のボーイ等、
様々なアルバイトを経験。
自分の将来に対する葛藤の中、
芸能の道を志すようになる。
母のさきさんはその進路に非常に悲しんだとの事。
- 前座時代 (1972年夏頃)
ストリップ劇場のエレベーターボーイを経験したのち
深見千三郎さんに師事し北千太としてコントを学んでいたそうです。
この頃にタップダンスの習得にも取り組み始めたとのことですが
当時は4畳半の屋根裏部屋に寝泊まりするような生活だったそうです。
今となってはたけしさんが4畳半の部屋に燻ぶっていた時代があったとは
想像もつかないですね。 - ツービート結成(1972年)
当時のフランス座に出入りしていたビートきよしさんに
漫才コンビ結成を誘われ漫才に魅力を感じていたたけしさんは
了承し、漫才コンビとしてその後の漫才ブームを牽引して行くこととなります。 - テレビ全盛期(1982年頃~)
その後漫才ブームの終焉を迎え一人での活動が本格化していきます。
スーパージョッキー
風雲!たけし城
元気が出るテレビ
スポーツ大将
オレたちひょうきん族
ビートたけしのTVタックル
世界まる見え!テレビ特捜部 などなど
上記のように書ききれないほどのTV番組にて活躍されてます。
特にアラフィフの私は風雲たけし城・元気が出るテレビは
かじりつくように見ていた覚えがあります。
高校生になったらダンス甲子園にでるのが夢でした!!
ひょうきん族だけはなぜか・・・・
明石家さんまさんとの掛け合いが面白くて
よく見ていましたが、一時期より
母親の勧めもあり、裏のドリフターズを見るようになりました。
今更ながら不思議ですが子供には毒が強いと母親は考えたんですね・・・
妹も一緒に見ていたのでスーパージョッキーの生着替えシーンなども
確かに刺激的でしたね・・・(私個人はあの時代のテレビが大好きですが)
TVタックルにおいては政治問題を扱うなど
お茶の間に政治が身近なものになった、
切っ掛けの番組だと思います。
ハマコーさんとの丁々発止のやりとりが見ものだった。
映画監督として
漫才師・お笑い芸人としての活動と並行し映画製作に取り組むようになり、
数多くの映画を世に送り出し様々な賞を受賞しています。
ちなみに映画監督の際は本名の北野 武名義での活動となっております。
- 主な作品は下記
- その男、凶暴につき
- 3-4X10月(さんたいよんえっくすじゅうがつ)( トリノ国際映画祭 特別賞受賞)
- あの夏、いちばん静かな海。(第34回ブルーリボン賞 最優秀作品賞・監督賞)
- ソナチネ(タオルミナ国際映画祭 グランプリほか)
- みんな〜やってるか!
- キッズ・リターン(第39回ブルーリボン賞 監督賞ほか)
- HANA-BI(第54回ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞ほか)
- 菊次郎の夏
- BROTHER
- Dolls(ダマスカス国際映画祭 最優秀作品賞)
- 座頭市(第60回ヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞)
- TAKESHIS’
- 監督・ばんざい!(第64回ヴェネツィア国際映画祭 監督・ばんざい!賞)
- アキレスと亀(ソフィア国際映画祭 観客賞)
- アウトレイジ
- アウトレイジ ビヨンド(第22回日本映画批評家大賞 監督賞)
- アウトレイジ 最終章
- 龍三と七人の子分たち
- 首(2023年11月23日公開)
ちなみに私はVシネマファンでもあり、アウトレイジシリーズは
大好きで繰り返し何度見たことかわかりません。
たけしさんの映画でよく言われる、いわゆるキタノブルーと
表される絵画のような映像の美しさと、
出演俳優陣の何とも言えない表現力、セリフの少なさで
醸し出す独特の雰囲気。
そしてハッピーエンドでは無い終わり方。
作品により皆様好き嫌い分かれるのだと思いますが・・・
私はとにかく大好き!!なのです。
主なテレビ出演作品
- ビートたけしのTVタックル
- 世界まる見え!テレビ特捜部
- 奇跡体験!アンビリバボー
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
- 天才・たけしの元気が出るテレビ!!
- ビートたけしのスポーツ大将
- 最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学
- 世界まるごとHOWマッチ!!
- ギミア・ぶれいく
- 痛快なりゆき番組 風雲!たけし城
- ここがヘンだよ日本人
- たけしの誰でもピカソ
- オレたちひょうきん族
- たけし・逸見の平成教育委員会
- たけし・さんまの有名人の集まる店
- 北野ファンクラブ(順不同)
上記番組全部知っている人は筆者同様アラフィフ以上ですね
エピソード
逸話やエピソードに事欠かないたけしさんですが、
その詳細をいくつか。
・フライデー襲撃事件
1986年12月9日にあった事件で、
当時お付き合いしていた女性への執拗な直接取材と
その行き過ぎた取材によって女性がけがをしたことに
激怒したたけしさんが、たけし軍団を引き連れて
フライデー発行元の講談社を襲撃。
警察に逮捕され、懲役6か月、執行猶予2年の判決により
8か月間活動を自粛したというものです。
ちなみに講談社側も女性への暴行により
罰金10万円を言い渡されている。
この事件については世間の見方も色々あり、
「たけしがかわいそうだ!」「フライデーが悪い!」や
「気の毒だと思うが暴力はいけない」「軍団を引き連れていったのはダメだ」
など様々な意見が当時のニュースにて報道されていました。
又、当時の内閣官房長官の後藤田正晴氏によるコメント↓
「写真週刊誌の取材の行き過ぎもあり、ビート君の気持ちはよくわかる。
かといって直接行動に及ぶのは許されることではない」との発言もあり
当時の事件への注目度の高さがわかります。
現代であればレギュラー番組すべてなくなりそう。
私個人としてはまだ小学生だった為、
フライデーなんて読むことが無かったせいか、
完全に「たけし負けるな!!たけし頑張れ!!」でした。
・バイク事故
これも有名な話ですが1994年8月2日未明の事件で、
交際女性に会いに行くため、酒気帯びの状態で
原付バイクを運転し自損事故を起こしたというもの。
病院に緊急搬送され一命は取り留めたものの、
入院によって半年ほどテレビ出演が無くなりました。
退院した時の記者会見では顔面麻痺が強く残っており、
愕然としたのを今でもはっきり覚えています。
さすがのビートたけしも終わったかと思ってしまった。。。
現在はだいぶ回復されましたね!
あとは小ネタを少々・・・・
- タップダンスが得意である
- 野球が大好きで草野球で阪神・ロッテに勝利したことがある。
- もし芸人にならなければ数学者を目指していた!
- バイク事故の際の第一発見者は諸星和己(元GENJI)である。
- ボクシング経験者である。
- 軍団員の芸名はいつも思いつきであった。
まとめ
子供のころに聞いた事件や衝撃的な事故等、
通常のタレントさんであれば引退しなければいけないような状況も
たけしさんにとってはその全てが糧であり、
たけしさんをたけしさんたらしめる要素だと思っています。
有名なお母さんや個性的なお父さん、浅草で生まれ下町で育った環境。
世田谷ベースに週に何度も通って所ジョージさんを困らせてしまうたけしさん。
私には本当に魅力的でいつまでも見ていたい人なのです。
近年、お年も取られた事で他人の様々な意見を目にすることも
増えました。
長年連れ添った奥様との離婚、そして再婚。
たけし軍団と離れたこと等。
もちろん捉え方や感じ方は人それぞれで、
たけしさんのお笑いが好きでは無い、
生き方や行動に否定的な人もいるのでしょう。
でも否定的な意見すら・・・
たけしさんへの応援歌に聞こえてくるのです。
興味のない人も そうでない人も
【ビートたけし】の生涯をリアルタイムドラマとして視聴している
観客の一人なのです。
この後にどんな展開が?どんな事件が?
と、思わずにいられないのです。
これからのご活躍も楽しみにしております。
では。
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