巨人軍最強助っ人と呼ばれたウォーレン・クロマティ。
数々の名場面を残した彼は、引退後どのような人生を歩んでいるのでしょうか?
2025年最新情報をもとに、話題となった闘病の真実や、現在の活動、ファンへのメッセージまで――「クロマティの“今”」を徹底取材します。
後楽園球場、いや、あの頃はもう東京ドームか。あのドームの熱気と歓声、覚えてます?
バッターボックスで独特の構えから、高々とバットを掲げる背番号49の姿を。
そう、ウォーレン・クロマティ!
彼の名前を聞くだけで、80年代のジャイアンツの熱い戦いが、昨日のことみたいに蘇ってくる人も多いんじゃないかな。
でもね、チューイングガムを陽気に膨らませながら振りまくあの底抜けに明るい笑顔と、「バンザーイ!」でお馴染みだったファイターが今、とんでもなく大きな壁とたった一人で向き合ってるって、知ってましたか?
今日は、グラウンドを去ったヒーローの、誰も知らなかった「今」について、少し話をさせてください。
脊柱管狭窄症との孤独な戦い

いやー、本当に衝撃でした。ふと、彼のYouTubeチャンネル「Cromartie Channel」を覗いたら、信じられない告白動画がアップされていたんです。
あれは2024年の終わり頃だったかな。そこで語られていたのは、僕たちが知っている「史上最強の助っ人」のイメージとは、あまりにもかけ離れた、めちゃくちゃ大変な現実だったんですよ。
ウォーレン・クロマティの現在は、難病との闘いの、まさに真っ只中にありました。彼を苦しめている病気、それは脊柱管狭窄症。 しかも、ギラン・バレー症候群っていう病気も併発しちゃったって、本人の口から聞いて、もう絶句でしたね。
正直なところ、すごいアスリートが引退後に体ボロボロでした、なんて話は、プロアスリートの世界では日常茶飯事。膝が曲がらなくなっちゃった元エースとか、腰痛で夜も眠れないっていう元ホームラン王とか、何人も見てきました。
でもね、クロマティの状況は、ちょっとレベルが違った。下半身が麻痺しちゃって、自分の力で歩くことすら難しいって言うんです。
昨年7月、東京ドームであったOB戦で、彼が車椅子に乗ってグラウンドに現れた姿を見たときは、本当に胸が締め付けられました。多くのオールドファンも、きっと同じ気持ちだったんじゃないかと思います。。
脊柱管狭窄症っていうのは、簡単に言うと、背骨の中にある神経の通り道(脊柱管)が、ギューッと狭くなっちゃう病気なんだそうです。それで神経が圧迫されて、足が痛くなったり、しびれたり、ひどいと麻痺しちゃう。日常生活にも大きな影響が出る、本当に厄介な病気なんですよね。
- Q脊柱管狭窄症って、具体的にどんな感じになるんですか?
- A
脊柱管狭窄症は頚椎ないし腰椎に発症することが多い疾患です。頚椎に生じた場合には、手足のしびれや運動障害を自覚するようになります。例えば、お箸が使いにくい、字が書きにくい、ボタンが掛けにくいといった上肢の症状に加えて、歩きにくい、ふらつく、階段が上り下りしにくいなどの下肢の症状も出現します。腰椎の脊柱管狭窄症では、腰から下のしびれや痛みが出現します。歩いているとお尻や足に痛みやしびれを感じ、休むと楽になる。それでまた歩くと再び痛くなるといった、間欠跛行(かんけつはこう) と呼ばれる症状がとても特徴的です。
出典⇒医療法人全医会東京腰痛クリニックより
彼が最初に「あれ?」って体に異変を感じたのは、もう何年も前のことだったそうです。いきなり足に力が入らなくなって、フロリダの病院で手術を受けた。
でも、結果は全然ダメで…。むしろ、アメリカと日本の医療ってこんなに違うのかって、ガッカリしたとまで言ってました。
言葉も習慣も違う国で、先の見えない治療と向き合う孤独感って、どれほどのものだったか。満員のスタンドから「クロウ!」って声援を浴びてた頃とは、180度違う、静かすぎる戦い。想像してみてくださいよ。昨日まで当たり前にできていた「立つ」ってことが、できなくなる恐怖を。ウォーレン・クロマティの闘病は、そんなとんでもない絶望から始まったんです。
一歩ずつ進むリハビリの道
でもね、ウォーレン・クロマティは、やっぱり僕たちの知ってるクロウでした。ただ落ち込んでるだけの男じゃなかったんです。絶望の淵から「絶対這い上がってやる!」って、壮絶なクロマティリハビリ生活に身を投じることを決めた。その道のりは、そりゃあもう、生半可なもんじゃなかったでしょう。
今の彼は、都内に家を借りて、千葉や茨城にあるリハビリ施設に毎日通ってるって聞きました。彼のYouTubeチャンネルでも、時々そのリハビリの様子が見られるんですけどね。
歩行を助けてくれるロボットと一緒に、一歩、また一歩って、本当にゆっくり、慎重に足を踏み出してる姿があるんです。脳からの「動け!」っていう命令が、麻痺した足にちゃんと届くように、神経の道をもう一回作り直していくトレーニング。ホームランを打つのとはワケが違う、とてつもなく困難な挑戦ですよ、これは。
クロマティリハビリの現状を伝える上で、無責任に「もうすぐ歩ける!」なんて言いたくない。でもね、彼の目を見てると、どうしても「ネバー・ギブ・アップ」の魂が、ビシビシ伝わってくるんですよ。
リハビリって、本当にお金がかかるんです。保険が効かない治療も多いし、経済的な負担は半端ない。だから、彼のことを心配した有志の人たちがクラウドファンディングを立ち上げて、たくさんのファンが「クロウ、頑張れ!」って支援の手を差し伸べた。
みんな、ただの「元助っ人」としてじゃなく、困難に立ち向かう一人の人間、ウォーレン・クロマティを応援してる。その温かい気持ちが、彼の辛いリハビリを支える一番のパワーになってるのは、間違いないでしょうね。
愛の力、揺るぎない家族の絆

孤独な闘病生活と、本当にキツいリハビリ。そんな想像を絶する毎日を支えているもの。
それこそが、クロマティファミリーの、めちゃくちゃ強い絆なんですよね。
彼の隣には、いつも奥さんのカレンさんと、まだ小さい息子のチャズ君がいました。
クラウドファンディングのサイトで、カレンさんが辛い胸の内を明かしながらも、「夫を絶対に支え抜く」って誓ってたんです。
その言葉の一つ一つから、旦那さんの苦しみを自分のことのように感じて、何としてでももう一度歩いてほしいっていう、切実な願いが伝わってきて、こっちが泣きそうになりましたよ。
トップアスリートの家族って、僕らが思う以上に、本当に大変だと思うんです。
家族は表には見えないところで、とんでもないプレッシャーと戦いながら、選手を支えてるんですよね。クロマティも、現役時代からすごく家族を大事にする人でした。1984年から巨人の監督だった王さんのことを尊敬しすぎて、自分の息子のミドルネームに「オー」って付けちゃったって話は、あまりにも有名ですよね(笑)。
今回の闘病で、クロマティファミリーの絆は、さらに強く、固くなったように見えます。
2025年現在、クロマティは日本に生活の拠点を移して、家族みんなでリハビリに専念している。慣れない外国での生活は、楽しいことばかりじゃないはず。でも、彼らは「チーム・クロマティ」として、この大きな壁にみんなで立ち向かってるんです。
特に、小さい息子の存在は、クロマティにとって何にも代えがたい希望の光でしょうね。
「息子の前でもう一回、自分の足で立ちたい」。その気持ちこそが、彼を地獄のようなリハビリへと突き動かす、一番のガソリンになってるんじゃないかな。
ある日のリハビリ中、彼はトレーナーにポツリとこう言ったそうです。「なんか、ロボコップみたいだな、俺」。その言葉には、自分の体へのもどかしさと、それでも笑いに変えようとする彼らしいユーモアが詰まってました。そんな彼の隣で、笑いながら励ます家族の姿が、目に浮かぶようです。
人って、やっぱり一人じゃ生きていけない。特に、人生のどん底にいる時ほど、支えてくれる人のありがたみが身に染みるもんです。
クロマティの現在の姿は、「最強の助っ人」っていう鎧を脱いだ、一人の父親、一人の夫としての、ありのままの顔を僕らに見せてくれている。そして、その隣には、いつも温かいクロマティファミリーの愛があるんですよね。
感謝の発信、YouTubeで見せる素顔
闘病生活の中で、ウォーレン・クロマティが日本のファンとの繋がりを保つために選んだ新しいグラウンド、それがYouTubeチャンネル「クロマティチャンネル / Cromartie Channel」だったんです。
2020年から始まったこのチャンネル、最初は現役時代の裏話とか、他のOB選手との対談がメインでした。でも、病気が重くなってからは、この場所が彼の近況を伝え、ファンに「ありがとう」を伝えるための、すごく大事なステージに変わっていったんですよね。
ぶっちゃけ、引退した選手がYouTubeを始めるなんて、今じゃ全然珍しくない。
でも、彼のチャンネルは、他のとはちょっとワケが違うんです。だってそこには、病気とガチで戦ってる、生身の人間の、カッコつけない姿が映し出されてるから。
特に、2024年12月に公開された「【大切なご報告】車いす姿の真相を初告白します」っていう動画。これ、見ました? あれは本当に泣けましたよ…。彼はそこで、自分の病気のこと、手術のこと、そして「本当は車椅子姿なんて見られたくない。でも、この姿を見せることで誰かの希望になるなら」っていう、めちゃくちゃ複雑な気持ちを、正直な言葉で僕らに語りかけてくれたんです。
こんな風に発信を続ける裏には、彼がずっと持ち続けている、日本のファンへの深い愛情と感謝の気持ちがあるんです。
彼は決して「あの人は今」的な過去の人じゃない。ウォーレン・クロマティの現在は、ファンと新しい形で繋がろうとする、挑戦の日々でもあるんですよ。
チャンネルのコメント欄を見てみてください。「クロウ、待ってるぞ!」「あなたの万歳がまた見たい」「リハビリ、応援してます!」って、国籍なんて関係ない、温かいメッセージで溢れてるんです。
このクロマティ YouTubeでの活動って、彼にとっては、ある意味リハビリの一環なのかもしれないなって思うんです。
ファンと繋がってるっていう実感、応援してくれてる人がこんなにいるんだっていう事実。それが、孤独な闘病生活を送る彼にとって、どれだけの力になってることか。
2025年になっても、彼は動画を更新し続けてくれてる。その姿は、僕らに大事なことを教えてくれます。たとえ体が昔みたいに動かなくても、人と繋がること、感謝を伝えることはできるんだってことをね。
希望の光、2025年に見据える未来
さてさて、僕らのヒーロー、ウォーレン・クロマティの2025年の近況、そして彼がこれからどこへ向かおうとしているのか。彼の戦いは、今この瞬間も、続いています。
リハビリのおかげで少しずつ機能が戻ってきてる部分もあるみたいだけど、完全に麻痺がなくなったわけじゃないのが現実です。それでも、彼の言葉の端々からは、未来への確かな希望が、ちゃんと感じられるんですよね。
クロマティの未来を「絶対こうなる!」なんて、僕には簡単には言えません。
でもね、それでも、彼が発する言葉や、リハビリに臨む真剣な目を見てると、どうしても期待しちゃうんですよ。
「日本の野球に恩返しがしたいんだ」とか、「日米の子供たちのために、また野球を教えたい」とかね。
彼の夢は、自分の体が治った、その先にあるんです。自分のためだけじゃない。次世代の野球少年たちのため、そして何より、彼を愛し、支え続けてくれる日本のファンのために、もう一度グラウンドに立ちたいって、本気で願ってる。
クロマティの闘病は、もう彼一人の物語じゃないのかもしれないですね。
それは、栄光と挫折、そして「絶対負けねえ!」っていう再生への強い意志を描く、僕らみんなの心を揺さぶるドラマなんです。
クロマティが直面している病、つまり脊柱管狭窄症っていう厳しい現実。車椅子での生活っていう困難。でも、彼はその全部をいったん受け入れた上で、ちゃんと未来を見てる。
もう一度、彼のバットが快音を響かせることはないかもしれない。
でも、彼が自分の足で、もう一度あの東京ドームの土を踏んで、スタンドに向かって、懐かしい「バンザーイ!」を見せてくれる日。
その日を、僕らは信じて待ち続けたいじゃないですか。ウォーレン・クロマティの戦いは、2025年の今、新しい章に入ったばかりなんです。
ここからはウォーレン・クロマティの略歴とエピソードを少し紹介します。
ウォーレン・クロマティ伝説|「最強助っ人」の球歴
いやー、クロマティの話をするとなると、どこから話せばいいか迷っちゃいますね(笑)。
ただの「すごい助っ人」って言葉じゃ、とてもじゃないけど言い表せない。グラウンドでは野獣みたいに闘志をむき出しにするかと思えば、カメラの前では最高の笑顔でファンを喜ばせる。
プロ野球史に強烈なインパクトを残した男の、輝かしい球歴と、今でも僕らが忘れられない伝説的なエピソードについて、たっぷりと語らせてもらいますよ。
嵐を呼ぶ男、メジャーからやってきた!
ウォーレン・クロマティが日本の野球ファンの前に姿を現したのは、1984年のことでした。当時の読売ジャイアンツは、V9時代を築いた王貞治さんが監督に就任したばかり。新しいチームの核となる、とんでもない大砲を探していたんです。そこで白羽の矢が立ったのが、メジャーリーグのモントリオール・エクスポズ(今のワシントン・ナショナルズ)で、バリバリのレギュラーだったクロマティでした。
彼のアメリカでのキャリアも、なかなかのものだったんですよ。
年 | チーム | 主な成績 |
1974-1983 | モントリオール・エクスポズ | 打率.281、61本塁打、341打点、ワールドシリーズ出場経験あり |
見てくださいよ、これ。メジャーで10年近くプレーして、ワールドシリーズにも出てる選手が日本に来るなんて、当時は本当に一大事件だったんです。
今でこそメジャーのスター選手が日本に来ることもありますけど、あの頃は「メジャーで通用しなくなった選手が来る場所」みたいなイメージがまだありましたからね。
だから、クロマティの来日は、日本のプロ野球ファンにとって、ものすごい黒船来航みたいなインパクトがあったわけです。
巨人の救世主、クロウフィーバーの始まり
巨人に入団したクロマティは、まさに水を得た魚でした。日本のピッチャーの、いわゆる「ちまちました」攻めなんておかまいなし。初球からフルスイングで、東京ドーム(当時は後楽園球場)のスタンドに次々と放り込んでいきました。
彼の巨人での7年間は、まさに伝説そのもの。特に1989年は圧巻でしたね。
- 打率.378(セ・リーグ首位打者)
- 15本塁打
- 72打点
- 出塁率.449(セ・リーグ最高)
- シーズンMVP
- チームを日本一に導く
この年の打率.378っていうのは、あのランディ・バースが叩き出した当時のプロ野球記録に、あと一歩まで迫るものすごい数字でした。ケガさえなければ、更新してたかもしれないって言われてます。まさに「手が付けられない」ってのは、この年のクロマティのためにあるような言葉でしたね。
でも、彼がファンに愛されたのは、ただ打つからだけじゃなかった。その全力プレーと、底抜けに明るいキャラクターが、みんなの心をガッチリ掴んだんです。
色褪せない!語り継がれるクロマティ伝説5選
さて、ここからがお待ちかね。クロマティを語る上で絶対に外せない、伝説のエピソードをいくつか紹介しましょう。僕も現場で目撃したものばかりで、思い出すだけで今でも興奮してきますよ!
1. 歓喜の儀式「バンザーイ!」誕生秘話
お立ち台での「バンザーイ!」は、クロマティの代名詞ですよね。あれ、実は彼が考えたんじゃないって知ってました? ある試合でヒーローになった時、通訳の人が「日本のファンは、勝つと『バンザイ』って言うんですよ」って教えたのがキッカケなんです。それを聞いたクロマティは、見よう見まねで両手を挙げて「バンザーイ!」。それがファンにめちゃくちゃウケて、いつしか勝利後のお決まりのパフォーマンスになったんです。彼の人懐っこさと、日本の文化に溶け込もうとする姿勢が生んだ、最高の名場面でしたね。
2. 球史に残る「敬遠球サヨナラヒット」
これはもう、伝説中の伝説です。1990年6月2日、東京ドームでの広島戦。同点で迎えた9回裏、2アウト2塁でバッターはクロマティ。相手ピッチャーは、金石昭人さんでした。広島バッテリーは当然、勝負を避けて敬遠を選択します。
- Q敬遠のボールを打つのは、ルール違反じゃないんですか?
- A
全く問題ありません! ピッチャーが投げたボールが、バッターボックスのラインを越える前にキャッチャーが捕球すると「反則投球」でボールになりますが、そうでなければ、どんなボールでも打ってOKなんです。ただ、普通はやりません。だって、めちゃくちゃ難しいですからね(笑)。
キャッチャーが大きく外に構え、誰が見ても敬遠の場面。
でも、クロマティは諦めてなかった。金石さんが投げた初球、大きく外れたボールに、彼はなんと飛びついていったんです!
バットの先にやっと当たったような打球は、ライトオーバーの大飛球。
2塁ランナーの桑田真澄が激走し、サヨナラ勝ちですよ。
球場は、そりゃあもう、ひっくり返るような大騒ぎでした。常識を覆す、彼の野球センスと勝負根性が凝縮された、まさに神がかり的な一打でした。
3. 闘魂の鉄拳「死球にブチギレ乱闘事件」
陽気なクロウも、怒らせたらめちゃくちゃ怖い。それを象徴するのが、1987年6月11日の中日戦での大乱闘です。
中日の宮下昌己投手から、背中にデッドボールを受けた瞬間、クロマティは鬼の形相でマウンドへ猛ダッシュ! 宮下投手にパンチを見舞い、両軍入り乱れての大乱闘に発展しました。(もちろん退場となりました)
あれは、ただカッとなっただけじゃないんです。当時、巨人の選手は相手チームから厳しい内角攻め、いわゆる「ビーンボール」を散々やられていた。
チームメイトを守るため、そして「俺たちをナメるなよ!」っていう強いメッセージを込めた、いわば“制裁”だったんです。
もちろん暴力はダメですけど、あの闘争心こそが、彼の魅力でもあったんですよね。
4. 愛すべきナルシスト「グッド・ルッキング・ガイ」
試合前の練習中、よくあった光景なんですけどね。クロマティがバッティングケージに入ると、バックネット裏のカメラマンたちに向かって、こう叫ぶんです。
「ヘーイ! グッド・ルッキング・ガイを撮れよ!」って(笑)。自分で自分のことを「イケメン」って言っちゃう。でも、それが全然イヤミじゃなくて、むしろ周りを笑顔にさせちゃうんですから、不思議な魅力を持った人でした。
5.尊敬するボス、王監督へのリスペクト
これ、一番いい話かもしれない。クロマティは、当時の監督だった王貞治さんのことを、心から尊敬していました。
その証拠に、自分の息子が生まれた時、ミドルネームに「オー(Oh)」と名付けたんです。理由を聞かれて、彼はこう答えました。
「王さんは、俺の日本の父親だ。彼への尊敬の気持ちさ」。ただの監督と選手じゃない、そこには国籍を超えた、深い絆があったんですよね。
巨人退団、その後
そんなクロマティも、1990年を最後に巨人を退団します。その後、アメリカに戻ってカンザスシティ・ロイヤルズでメジャー復帰を果たし、現役を引退。引退後は、独立リーグで監督を務めたり、野球教室で子供たちを指導したりと、野球への情熱は少しも衰えていませんでした。
クロマティは、単に数字を残しただけの「優良助っ人」ではありませんでした。彼の喜怒哀楽、そのすべてをグラウンドで曝け出す姿に、僕たちファンは熱狂し、心を揺さぶられたんです。
だからこそ、30年以上経った今でも、彼のプレー、彼の笑顔、彼の怒った顔まで、鮮明に思い出すことができる。彼こそが、記憶に残り続ける真の「ヒーロー」なんです。
そして今、彼は野球とは違う、人生で最も困難な戦いに挑んでいます。でも、きっと大丈夫。あの敬遠球を打った時のように、常識を覆す奇跡を、彼はまた僕らに見せてくれるはずです。頑張れクロウ! 僕らはいつまでも、あなたの応援団ですよ!
クロマティの現在:おわりに
いやー、グラウンドを爆走してたあの頃から、ずいぶん時間が経ちましたね。
ウォーレン・クロマティの現在は、華やかなスポットライトとは無縁の、本当に地道で過酷な難病との闘いの毎日です。
脊柱管狭窄症っていう重い現実と向き合い、車椅子での生活を送りながらも、彼の心の中の闘志の炎は、少しも消えてなんかいません。
彼の闘いを支えているのは、献身的なクロマティファミリーの愛と、海を越えて届く僕ら日本のファンからの「頑張れ!」っていう声援なんですよね。
彼の物語は、ただの「元スター選手は今」みたいな話じゃない。これは、人生のどん底に突き落とされた一人の男が、どうやってプライドを失わずに、未来への希望を繋ごうとしているのか、その記録なんです。
彼の挑戦は、僕ら一人ひとりに、静かに、でも力強く問いかけてくる気がします。
「なぁ、お前は今、自分の人生っていう試合に、ちゃんと向き合ってるか?」ってね。
クロマティのバットが、もう一度、希望っていう名前の特大ホームランをかっ飛ばす日を、みんなで心から待ち続けようぜ! 彼の試合は、まだまだ終わっちゃいない。新たなプレーボールがかかったばかりなんですから。
巨人軍最強助っ人と呼ばれたウォーレン・クロマティ。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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